2015年1月25日日曜日
会社対策会議⑦ 内定者「同期の交流って大事?」
会社対策会議
「平成ベビーの会社員。」内のQ&A。質問はAsk.fmで受付中。
武野です。
こんな質問がありました。
就活中は
「どうでもいいかもしれないけどとりあえず交流しておこう」感覚での飲み会は結構行ってたんですが、
決まってからというもの入社決まってるし別にいいかなー、
って何事もやる気が出ていません。
入社前の同期の飲み会とか交流って大事ですか?
何を重視するかなので一概には言えませんが、
就活中に関わりをもっただけの人がその後の人生に何かしらの影響を及ぼした経験がある人ってかなり貴重です。
同じ就活塾に通っていたとかなら会う頻度が多いので可能性も高めでしょうが、GD・GWで一緒になって連絡先を交換した、くらいのレベルでは、ほぼいないと思います。
よほど気が合うか、利害関係が一致したとかいうことじゃなければ、想像しにくいです。
だって同じコミュニティに所属しているわけでもないので、連絡を取り合う必然性がないですよね。あったとしても『就活の情報収集』的な感じで、気持ちのよい関わりがもてるわけがありません。
あとは出会い目的の人でしょうか。
僕も就活中に女子のアドレスをかき集めようとした男でして、それなりの数の収集に成功しましたが、通算で5、6回食事をご馳走させられただけで終了しましたからね。
(YU RU SA NA I)
でもね、同期は違います。
会社を辞めない限り、今後40年ほどの関わりがあります。
そして会社に入ったことがない人は気づかないのですが(ていうか完全に僕がそうだったんですが)、
同期って社内で唯一タメ口同士で会話できる人たち
なんですよ。
ある程度の規模があれば、会社には40歳以上年上の人までいます。そのなかで一握りしかタメ口同士は許されないんです(ゆるゆるの会社じゃない限りは)。
これ、大きな話だと思います。
僕は会社での仕事を考えるときに、「会社生活」っていう考え方が大事だと思っています。
要は一日の大部分、1週間のうちの5日を過ごすのですから、仕事うんぬん以外、つまり生活の一部としての会社の過ごし方を考えるべきだということです。
そのなかで同期の占める割合って大きいです。
もちろん同期にどんな人がいるかわかりませんし、クソほど嫌いになる人もいるかもしれません。
ただ、軽んじてはいけません。
個人的な成分満載で意見を言うならば、
会社の飲み会でいっちばん楽しいのって、仲の良い同期との飲み会です。
なんッッッにも、気を遣わなくていいですからね。
会社での飲み会なんて、どうやったってフォーマルな意識が抜けきりません。
楽しくないと言っているわけではありませんが、まともな人は目上だろうが目下だろうが、立場が違えば多少は気を遣ってしまいます。
関わりが友人関係ではなく、仕事での付き合いなんですから、当然です。
でも、同期は会社にいる人たちの中では、それが一番少ないわけです。
別の観点でいえば、同期との会話がおもしろくなることには理由があります。
それは
「一日の大半を共通するもの、つまり同じ会社での仕事に費やしているため、共有事項が多いこと」
です。
しかも、そこでの話題が自分の人生に大きく影響することもあります。
フォーマルな話題、インフォーマルな話題、どちらも、ときにスリリングで、ときに爆笑必至です。
「共通する趣味」どころのおもしろさではないのです。
これは同期に限らないですけどね。
僕は同期の数は多くありませんが、仲良くしてもらって、幸運だなと思っています。
ちょっと仕事でしんどいとき、同期にメールして昼食を一緒に食べる安らぎは何物にも代え難いです。
(もちろん僕の同期全員がそういう意見なわけではないでしょうが)
会社で仲良くできる人が同期に限られていると言いたいわけではなくて、フラットな人間関係を楽しめる可能性が高いのが同期だ、という話です。
だから、仲良くなる機会は、あまり逃さないほうがいいんじゃないでしょうか。
安らかに。
合コンじゃない!異業種交流会が若手社員におすすめな理由
武野です。
マイナビニュースさんでレポートを書かせていただきました。
合コンじゃない!異業種交流会が若手社員におすすめな理由
この前、ラム肉を死ぬほど食べる機会が偶然にも訪れまして。
僕、言わずと知れた無類のラム好きじゃないですか。
しかもひつじ年じゃないですか。
千と千尋のパパママ並みにバキュームしたわけなんですけど(たぶん400gは食べたと思います)、
翌日、尋常じゃないくらいにお腹がゆるくなってましてね。
決してお腹を壊したわけではないんですが、脂の力ってすごいな、って思いました。
しかもその日はけっこう大事な仕事をメインでまわさないといけなくて、そのときの焦りって言ったら半端じゃなかったですね。
だって油断したら流れてきてしまうもので。
でも、ラムを嫌いになりたくないっていう僕のひつじさんへの愛情が、僕の門番を屈強な男たちに変えていましたね。
これが愛の力か、って、思いました。
安らかに。
2015年1月13日火曜日
平成ベビーと節約でも増収でもない貯金法。
武野です。
最近、友達から「貯金癖があるな」って言われました。
きっと彼は僕を「ケチ」と言いたかったのでしょうが、気を遣ってくれたんですね。優しいですね。でも僕、考えすぎ系コミュ障の要素を持っているんで、そういうのに敏感です。
自分で自分をケチかと思うかというと、そうでもありません。
確かに人より出費が抑制された生活を送っているような気はしますが、それは僕が散財によってストレスを発散させるタイプの人間ではないからです。
それに、衝動買い的なことをほとんどせず、欲しいものをピンポイントで購入することを常としていることもあります。
(あとは「散財は未来の自分からお金を借りている」と気付いたのも理由です)
しかし、ここで話したいのは別のことです。
会社員になると将来を考えるようになるので、『貯金』に対する意識が大学生のときよりも高くなります。
そこで人によってはネットで調べたり本を読んだりするわけですが、結構な難易度の貯金術が書かれています。
株をやれとか、ブログで稼げとか、モニターをやれ、とか。
何でもいいから収入源を増やせっていうことなので、間違ってはいませんが、そんな簡単にできることではありません。
その類のことを執筆活動で僕もやっているわけですが、そこそこ時間も労力もかけていますし、何より僕に至っては
人間関係を切り捨てて時間を捻出する
ことによって実現させています。
土日に誘ってくれる友達がいなうので、そもそもお金を使う機会が人より少ないですからね。
まともな人間の生活を送りたい人にはおすすめできません。
あとは、節約関連。
要は
生活のランニングコストを落としていく
ってことなんですけど、これも微々たるもんですね。しかもときには転居を伴ったりするので、大ゴトです。
(てっとり早くお金を貯めたい人は実家で暮らすか誰かと同居するといいですね。若手会社員でやたら羽振りのいい人はだいたいこの類か、散財に見境のない人です)
そういうのは、もういいよと。
そこで貯金の真理といってもいいのではないかということに気付きました。
それは
無意識下でお金が貯まる体制をつくること
です。
「貯金しよう」と意識して実行できる人は、かなり意思が強いです。
欲望を薙ぎ払い、自分の生活レベルを落としてまでお金を貯めるなんて、ストレスも感じることもあるでしょう。
(お金が貯まることによる快感がそのストレスを大きさで上回らないと続けられないですしね)
だから、無意識下である必要があるんですね。
2つの代表例があります。
①財形貯蓄
②定期預金
要は「勝手にブっこ抜かれる」わけです。
貯金ノウハウには必ずといっていいほど書いてありますが、強制力が働いているので100%貯金できます。まちがいない。
しかし、これだけなら、わざわざブログの記事にはしません。
①②もいいんですが、僕はどうも達成感というか、貯めている感じが目に見えないので好きになれません。
しかも自由に動かせないという最大のデメリットがあります。
そこで僕がオススメしたいのはこれです。
小銭貯金。
もうかれこれ2年くらいやっていますが、けっこう貯まります。
だいたい4か月に一回くらい銀行にもっていくんですが(郵便局なら無料で口座に振り込んでくれます)、10万円前後になります。
だいたいの物は買えますね。
ちなみに最初は小銭を全部投入していましたが、1円と10円がないと支払の端数調整ができず、非常に不便と気付いたので、いまは5円玉と50円以上を貯めています。
(関係ないですが、僕は5円玉が使えません。「ご縁」を意識し過ぎた結果、使おうとすると大きな不安感に襲われます。一種の強迫性障害だと思います)
方法論としては
小銭を問答無用で袋などに投げ込むことを生活の一部にする
ってことです。
習慣化された僕にとってはもはや排便と同じレベルの行為なので、いつ入れているとか記憶できていません。
「無意識化された貯金」の何がいいって、必然的に余ったお金しか使えないところです。
もはや自動貯金と同じなわけであります。
その他の方法としては、親への仕送りなどがあれば、「親に渡しているぶんに上乗せして、代わりに取っておいてもらう」などがあります。
これも毎月の作業に貯金の要素を加える「無意識化」です。
専業主婦の奥さんがお金の管理をして、勝手に貯金してくれているのとも同じですかね。
強いて条件をあげるとすれば、銀行に小銭を持っていったときの窓口の人の
(あ~、めんどくせェのきたわ)
って表情に耐えられないといけないですね。
安らかに。
(もちろん財布にある小銭を使ってたら意味ないので悪しからず)
2015年1月4日日曜日
会社対策会議⑥ 「社会のため、会社のためだけではモチベーションが保てません」
会社対策会議
「平成ベビーの会社員。」内のQ&A。質問はこちらで受付中。
若い人たち同士で会社のあれやこれやの難題をいかに乗り越えていくか、考えていきます。
基本、ゆるふわ(推敲しない)。
内定後、これが自分の一番やりたいことなのかと考えると違うような気がして堂々巡りです。
しかし、私には能力面や仕事面で合っているような気がします。
業界や職種を考え、自分の目指しているものと現実がマッチすることは難しいし贅沢なことかもしれませんがTHE内定ブルーです。
仕事は仕事と割り切り努力して、無能さんみたいに出版関係で1つでも何かやってみたいなーとは思ってます。
社会のため会社のためだけではモチベーションとして満足できません。
こんなウンコ野郎ですが、何か意見やアドバイスをいただけると嬉しいです。
いい感じのウンコ野郎ですね。大好きです、そういうことで迷っている人。
僕がぶちまける独善をがっぷり四つで受け止めくれます。
(全然関係ないですけれど「無能の就活。」が就活ブログのくせに下ネタ満載なのでこっちは上品にいこうと最初に固く誓ったものの僕的にも読者層的にも無理でした)
ポチョムキンさんにお伝えしたいことがあります。
(今回はポチョムキンと呼ばせていただきます)
←格闘ゲーム「ギルティギア」のキャラクター。格ゲーは兄貴にボコられた記憶しかないのであまり好きではありません。
僕自身、
社会のため、会社のためとか思って仕事をしたことはこれまで一度もありません。
むしろまじめな顔してそんなことを言う被雇用者がいたら僕はかなり神経を疑います。
「じゃあ会社が経営難に陥ったら率先してリストラされるのォォォん?」と煽りまくることでしょう。
僕は仕事上で「どうにかして自分にしかできないことをやろう」といつも思っています。
実際にそこそこ努力をしたつもりでもいます。
それは僕が自分に任されたことをおざなりにできない性分もあるでしょうが、そうしたいからそうしているだけです。
別に「成長☆」とかはどうでもよいですし、人に褒められたいとかいう気持ちはありますが、たいして深い理由もありません。
そもそも「自分より存在が大きいもの」をモチベーションの源泉にしようとしていることが悪手です。
なぜなら、その存在はポチョムキンがいなくても成り立つからです。
ほとんど例外ないと思いますが、どんなに奴隷化して仕事に取り組んでいる人でも、モチベーションの源泉は、家族や自己実現など、自分(もしくはそれにほぼ同等なもの)にあると思います。
世の中にでまわっている夢だの社会貢献だのは、もちろん全てではありませんが、多くが0.02mmのオカモト製モチベーションです。
(薄いと言いたかっただけなの)
(「みんな、がんばろうぜ!☆」って感じで集団心理(?)になりやすい人はそれでいいと思いますが、ポチョムキンはたぶん違うと思います…)
また、会社でやりたいことをやる、という意識をもしお持ちなら、僕は今のうちに考え方を見直すべきだと思います。
会社は被雇用者の自己実現などには、たいていの場合、これっぽっちも興味がないからです。
あるとしたら、それこそモチベーションを保たせるためだけです。
業務命令ってなんだと思いますか。それは会社で仕事をするうえで必ず遂行しなければいけないものです。
会社員はそこに時間と労力を投入し、対価として賃金を受け取ります。
根本的にはそれだけの関係であり、仕事もその程度のものです。
確認ですが、僕は「だから真剣にやらなくていい」なんてことは、一つも思いません。
むしろ、そういった類の人が僕は嫌いです。
でも、そもそもやりたいことをやるために会社に入ろうとしたんじゃないでしょ。
大学卒業が近づいてきて、新卒を逃したくなかったからでしょう。
本気でいわゆる「やりたいこと」ができるなら、世の中の9割の大学生は会社に入らないと思います。
僕自身、「働きたくねー!」って喚き散らしながら上京しましたしね。新幹線の座席は僕の吐いた唾だらけでしたよ。
出版関係で1つでも何かやりたい、と思っていること、ものすごくステキです。
これは別のところでも書いたのですが、僕個人においては、出版や文筆にこそ僕のアイデンティティは存在していて、だからこそ会社の仕事では滅私して踏ん張ることができていると思っています。
僕は純粋な意味で自分のやりたいことは、すべて会社以外でやっています。
会社でも僕は新しい企画などをよく提案するほうですが、これはいわば不純です。
あくまで会社でのやりたいことは、事業や業務内容、環境を通したものであり、ものすごく多くの障壁や制限があります。
それが下等であるとはまったく思いませんが、現実的によほど運が良く、かつ実力と権力がある人でなければ純粋な意味でのやりたいことは実現できないのです。
もちろん会社というツール(資金やマンパワー、技術など)を生かさなければ実現できないこともあります。それはそれで紛うことなく素晴らしいです。
しかし、それを若い人が行うには、いささかハードルが高いです。多くのしがらみがあるでしょう。
平たく言えば、僕は出版や文筆業を趣味化させて、そこで「やりたいことしたい欲求」をぶちまけています。
割り切るには、プライベートのすべてを投下してもよいと思えるものがなければいけないと思います(現実にそうならなくても。現に僕はだらだら遊んでいます)。
世の中には会社員をやりながら「やりたいこと」を突き詰めている、本当にすごい人がたくさんいます。
そういう人はほぼ例外なく、「やりたいこと」に仕事以外の時間と労力を凡人が引くレベルで投入しています。
一見、オシャレなお店での食事をブログにあげているだけに見える人も、それを仕事の一環として捉えていて、その人自身のブランディングなどに転化されています。。
そうできるものを既にお持ちなら、どうぞプライベートのすべてを投下してみてください。
なければ探してみてください。
ちょっと余談ですが、逆に僕は出版や文筆が本業になってもやっていけません。
理由は簡単で「趣味」ではなくなり、「やりたいことをやるもの」ではなくなるからです。
最後に。
僕は幸運にもブログ出身の作家として活動させていただいていますが、形になるまではそれなりに苦労と苦心をしました。
その後、いろんな人がこのコミュ障を掴まえて、話しかけてくれるようになりました。
一番言われたのは「ほんで印税はなんぼになんのん?」だったので「みんなお金の話が大好きやな」と思ったのですが、一部の人は
「わたしも本を出したいんです」
と言ってきました。
現実をみると、「人に見せることを前提とした文章を原稿用紙10枚でも書き上げた人」は一人もいませんでした。
1文字でも怪しいです。
これは出版や文筆に限る話ではないと思います。
みんなが持っているのは「やりたいこと」ではなく、「欲しい成果」なんだと思います。
僕は自分が文章がうまいとも思いませんし、本を読むことも大して好きではありません。
ただ、人に見て、ほめてもらうこと、嬉しがってもらえることが、ものすごく好きです。
その成果を手にするために「やる」ことができます。
だからこそ、僕はやりたいことがあると言えます。
どうかポチョムキンにも、やりたいことを。
もし本を出したいなら、絶対に買うので、発売されたらぜひご連絡ください。
最後の最後に。
やってみると意外におもしろいこと、会社にはたくさんあります。
内定ブルーに意味はなし!です。
おもしろくなかったら、そのとき考えたらいいんです。
安らかに。
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