2015年1月4日日曜日
会社対策会議⑥ 「社会のため、会社のためだけではモチベーションが保てません」
会社対策会議
「平成ベビーの会社員。」内のQ&A。質問はこちらで受付中。
若い人たち同士で会社のあれやこれやの難題をいかに乗り越えていくか、考えていきます。
基本、ゆるふわ(推敲しない)。
内定後、これが自分の一番やりたいことなのかと考えると違うような気がして堂々巡りです。
しかし、私には能力面や仕事面で合っているような気がします。
業界や職種を考え、自分の目指しているものと現実がマッチすることは難しいし贅沢なことかもしれませんがTHE内定ブルーです。
仕事は仕事と割り切り努力して、無能さんみたいに出版関係で1つでも何かやってみたいなーとは思ってます。
社会のため会社のためだけではモチベーションとして満足できません。
こんなウンコ野郎ですが、何か意見やアドバイスをいただけると嬉しいです。
いい感じのウンコ野郎ですね。大好きです、そういうことで迷っている人。
僕がぶちまける独善をがっぷり四つで受け止めくれます。
(全然関係ないですけれど「無能の就活。」が就活ブログのくせに下ネタ満載なのでこっちは上品にいこうと最初に固く誓ったものの僕的にも読者層的にも無理でした)
ポチョムキンさんにお伝えしたいことがあります。
(今回はポチョムキンと呼ばせていただきます)
←格闘ゲーム「ギルティギア」のキャラクター。格ゲーは兄貴にボコられた記憶しかないのであまり好きではありません。
僕自身、
社会のため、会社のためとか思って仕事をしたことはこれまで一度もありません。
むしろまじめな顔してそんなことを言う被雇用者がいたら僕はかなり神経を疑います。
「じゃあ会社が経営難に陥ったら率先してリストラされるのォォォん?」と煽りまくることでしょう。
僕は仕事上で「どうにかして自分にしかできないことをやろう」といつも思っています。
実際にそこそこ努力をしたつもりでもいます。
それは僕が自分に任されたことをおざなりにできない性分もあるでしょうが、そうしたいからそうしているだけです。
別に「成長☆」とかはどうでもよいですし、人に褒められたいとかいう気持ちはありますが、たいして深い理由もありません。
そもそも「自分より存在が大きいもの」をモチベーションの源泉にしようとしていることが悪手です。
なぜなら、その存在はポチョムキンがいなくても成り立つからです。
ほとんど例外ないと思いますが、どんなに奴隷化して仕事に取り組んでいる人でも、モチベーションの源泉は、家族や自己実現など、自分(もしくはそれにほぼ同等なもの)にあると思います。
世の中にでまわっている夢だの社会貢献だのは、もちろん全てではありませんが、多くが0.02mmのオカモト製モチベーションです。
(薄いと言いたかっただけなの)
(「みんな、がんばろうぜ!☆」って感じで集団心理(?)になりやすい人はそれでいいと思いますが、ポチョムキンはたぶん違うと思います…)
また、会社でやりたいことをやる、という意識をもしお持ちなら、僕は今のうちに考え方を見直すべきだと思います。
会社は被雇用者の自己実現などには、たいていの場合、これっぽっちも興味がないからです。
あるとしたら、それこそモチベーションを保たせるためだけです。
業務命令ってなんだと思いますか。それは会社で仕事をするうえで必ず遂行しなければいけないものです。
会社員はそこに時間と労力を投入し、対価として賃金を受け取ります。
根本的にはそれだけの関係であり、仕事もその程度のものです。
確認ですが、僕は「だから真剣にやらなくていい」なんてことは、一つも思いません。
むしろ、そういった類の人が僕は嫌いです。
でも、そもそもやりたいことをやるために会社に入ろうとしたんじゃないでしょ。
大学卒業が近づいてきて、新卒を逃したくなかったからでしょう。
本気でいわゆる「やりたいこと」ができるなら、世の中の9割の大学生は会社に入らないと思います。
僕自身、「働きたくねー!」って喚き散らしながら上京しましたしね。新幹線の座席は僕の吐いた唾だらけでしたよ。
出版関係で1つでも何かやりたい、と思っていること、ものすごくステキです。
これは別のところでも書いたのですが、僕個人においては、出版や文筆にこそ僕のアイデンティティは存在していて、だからこそ会社の仕事では滅私して踏ん張ることができていると思っています。
僕は純粋な意味で自分のやりたいことは、すべて会社以外でやっています。
会社でも僕は新しい企画などをよく提案するほうですが、これはいわば不純です。
あくまで会社でのやりたいことは、事業や業務内容、環境を通したものであり、ものすごく多くの障壁や制限があります。
それが下等であるとはまったく思いませんが、現実的によほど運が良く、かつ実力と権力がある人でなければ純粋な意味でのやりたいことは実現できないのです。
もちろん会社というツール(資金やマンパワー、技術など)を生かさなければ実現できないこともあります。それはそれで紛うことなく素晴らしいです。
しかし、それを若い人が行うには、いささかハードルが高いです。多くのしがらみがあるでしょう。
平たく言えば、僕は出版や文筆業を趣味化させて、そこで「やりたいことしたい欲求」をぶちまけています。
割り切るには、プライベートのすべてを投下してもよいと思えるものがなければいけないと思います(現実にそうならなくても。現に僕はだらだら遊んでいます)。
世の中には会社員をやりながら「やりたいこと」を突き詰めている、本当にすごい人がたくさんいます。
そういう人はほぼ例外なく、「やりたいこと」に仕事以外の時間と労力を凡人が引くレベルで投入しています。
一見、オシャレなお店での食事をブログにあげているだけに見える人も、それを仕事の一環として捉えていて、その人自身のブランディングなどに転化されています。。
そうできるものを既にお持ちなら、どうぞプライベートのすべてを投下してみてください。
なければ探してみてください。
ちょっと余談ですが、逆に僕は出版や文筆が本業になってもやっていけません。
理由は簡単で「趣味」ではなくなり、「やりたいことをやるもの」ではなくなるからです。
最後に。
僕は幸運にもブログ出身の作家として活動させていただいていますが、形になるまではそれなりに苦労と苦心をしました。
その後、いろんな人がこのコミュ障を掴まえて、話しかけてくれるようになりました。
一番言われたのは「ほんで印税はなんぼになんのん?」だったので「みんなお金の話が大好きやな」と思ったのですが、一部の人は
「わたしも本を出したいんです」
と言ってきました。
現実をみると、「人に見せることを前提とした文章を原稿用紙10枚でも書き上げた人」は一人もいませんでした。
1文字でも怪しいです。
これは出版や文筆に限る話ではないと思います。
みんなが持っているのは「やりたいこと」ではなく、「欲しい成果」なんだと思います。
僕は自分が文章がうまいとも思いませんし、本を読むことも大して好きではありません。
ただ、人に見て、ほめてもらうこと、嬉しがってもらえることが、ものすごく好きです。
その成果を手にするために「やる」ことができます。
だからこそ、僕はやりたいことがあると言えます。
どうかポチョムキンにも、やりたいことを。
もし本を出したいなら、絶対に買うので、発売されたらぜひご連絡ください。
最後の最後に。
やってみると意外におもしろいこと、会社にはたくさんあります。
内定ブルーに意味はなし!です。
おもしろくなかったら、そのとき考えたらいいんです。
安らかに。
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