2014年7月21日月曜日
受ける側から考察してみた「好かれる営業」像
武野です。
最近、僕のことを「無能」と呼んでくれる人が減っているので困っています。
挙句には「たけの」と呼んでくる人までいます。僕は悲しいです。もっと僕のことを知ってください。求められれば肉体の隅々までさらけ出す所存です。
僕は「むの」です。
「無能」と蔑みを込めて読んでください。
(男性も読んでほしいのですが、蔑みを込めるのは女子限定ですハァハァ)
ちなみにこの「無能」という名前が決まった経緯ですが、
僕は『無能の就活。』を始めてしばらく経ったとき、読者の方に「そういえばハンドルネームはなんていうんですか?」と聞かれました。
言われてみると決めていなかったことに気付きます。
当時は「無能の就活さん」とか呼ばれていたのですが、
一部に名乗っていないのに「無能さん」と呼んでくる無礼千万の不届き者が数名いらっしゃいました。
それを自称したときの卑屈さを想像するとやけに気に入ってしまい、そのまま採用させてもらいました。
ただ、それから出版が決まって、ペンネームをどうするかという話になり、僕はそのままでもよかったのですが、担当編集さんに「さすがに著者名としておかしい」と言われ、一両日考えて決めました。
余談終わり。
この前、担当の編集さんが主催したパーティにお呼ばれしたので参加してまいりました。
最寄り駅から会場までの僕の心臓の高鳴り、半端じゃなかったですよね。
期待とかじゃなくて、
単純にハミにされるんじゃないかという不安からの激しい動悸。
だってコミュ障なんだもん。
知らない人が怖いんだもの。
パーティなんて大学時代、同級生のリア充たちが狂ったようにやっていた「タコパ(タコ焼きパーティ)」に一度呼ばれた経験しかありません。
ていうか、そのときも僕は
大学生というより、むしろタコ焼き屋の店主
って感じで、黙々とタコ焼きをひっくり返すことに専念していましたからね。
僕の手さばき、尋常じゃないくらい進歩していました。
結果からいうと、他にもコミュ障っぽい人がけっこういて、なんか安心感に包まれたパーティでした。
生きる希望をもらったというか、社会から生存許可証をいただいたというか。
(いちおう書きますが悪口ではないです。人の良さそうな人がたくさんいました)
マイナビニュースにコラムを書きました。
受ける側から考察してみた「好かれる営業」像
ご覧あそばせ。
もしよろしければシェアをお願いいたします……
僕は高校生くらいのときからストレスを感じるとお腹をくだすのですが、ここ1か月くらい異常状態で僕のお腹の低気圧が暴れ狂っております。
ぼすけて。
お願いですから安らかに。
2014年7月5日土曜日
平成ベビーも今年で25歳なんだけれども。
<最下部に告知あり>
武野です。
平成元年度に生まれた人たちは今年度で25歳になります。
ちなみに僕は早生まれの平成2年なので、まだ24歳です。
知り合いたちが一足先にアラサーになっていくのを尻目に、僕はもうしばらくアラトゥエ(?)を楽しみたいと思います。
24歳になってからしばらく経って思うことがあります。
世の中にいる人はだいたい2種類に分かれて、それは
「何かになりたい人」
と
「レリゴーでいい人」
になると思います。
(不安なのでいちおう書きますが、後者は「ありのままでいい人」です)
何かになりたい人は言い換えると
供給する側として自分を充実させたい人
であり、例えばそれはクリエイターだったり、スポーツ選手だったりすると思います。自己実現や自己研鑽の果てに、承認やらなにやらを得て、充実感を得ます。
また、レリゴーでいい人は
受け手として自分を充実させたい人
になります。
旅行を楽しむ、グルメを楽しむなど、『消費』で充実感を得ます。
自己を高める、自己を発するという行為から何かを得ようとする人ではなく、つまりは『自分自身以外』に、その価値観の重きが置かれます。
もちろんどちらが良いとかいうことではないですし、必ずしもどちらかしか持っていない人ばかりではないでしょうが、傾向として分けることはできると思います。
ビジネス(この単語、使うの恥ずかしくないですか?僕だけ?)の世界にもこれは影響してきます。
前者タイプの人はきっと会社(の仕事)と自己実現を重ね合わせてバリバリ働き、後者タイプの人は出世欲などはなく、あくまで労力と時間をお金に換えているという感覚で働きます。
(もう少しやる気あると思いますが)
そこで本題で、25歳ともなると、だいたいみんな、ある程度の結果を出してくるということです。
そして同世代の他人が結果を出していることに気付いたとき、「何かになりたい人」は、何かになれていなかったとき、大きなやるせなさや、不甲斐なさを感じます。
若いときはいいんですよね。
「まぁ、俺まだ○○才だし」
「この人は私より年上だし」
という魔法の言葉があるので。
年齢という盾を使って
「自分にはまだ時間が足りないから現状でも仕方が無い」
と、心の中で唱えて自分を守るわけです。
この考え方、僕も常々していました。
僕は高校生くらいのときから「作家になりたい」と思うようになりました。
最初は小説を書いていて、少なくともそこらへんの「なりたい詐欺」の評論ばかりして実際には何にも書いていない人よりは頑張っていたと思うのですが、芳しい結果はでませんでした。
でも、そのとき僕はまだ17とか18なので
「でも、僕まだ10代やし……」
と言い訳をして自分を納得させるわけです。
でも、当時でも、僕と同年代、下手したらそれ以下の人がデビューしたりなんだりします。
最初にそれを知ったとき、劣等感の塊を胸にぶん投げられたような衝撃を受けまました。
でも、そこで魔法の言葉
「この人は特別な人だから、まだ大丈夫」
を使います。
言い訳で自分を納得させ、自尊心を保つのに必死でした。
でも、よく考えてみたら、そういった成功する人たちはほぼ例外なく、めちゃくちゃ努力しています。
本人が努力と思っているかはわからないですが、時間も労力もかけて、他の生活の要素を少なくして、それに取り組んでいたはずです。
才能が影響しないなんてことはありえないですが、やっぱり多くが努力の量の影響だと思います。
25歳になって、会社などでは「若いねェ~」といろんなところで言われる人が多いと思います。
僕もそうです。
(見た目が完全にアラサーなので、そういう意味もあるかもしれませんが)
でも、世の中全体で見れば、25歳は25歳なんですよね。
25歳なりの結果をだしている人が多いでしょうが、25歳以上の結果を残している人も山ほどいます。
(今も昨日、会社の同期に教えてもらったバンドの曲を聞きながらwikipediaを見てみたら年下でした)
魔法の言葉が通用しなくなってきて、要は防具がない状態で現実というハードナックルを顔面にモロにぶち込まれつつあります。
そんな年齢が25歳だと思います。
まだまだ頑張らなきゃいけないなぁ、と思います。
そうしないと、きっと生きていけません僕は。
そして、まだまだ頑張れば、もっとできる、と信じています。
そうじゃないと辛くて、今にも僕は出勤の電車で反対側の方面に乗り込んでしまいそうです。
何かになりたい人も、まだまだ頑張れると思います。
ふと、思ったので、徒然なく書き留めました。
安らかに。
<告知>
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もう一つのブログ「無能の就活。」
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