2014年4月26日土曜日
「職場になじめないかも」と不安な新入社員に贈る、先輩としゃべるコツ
武野です。
半端ではない運動不足が積み重なり、ついに家をでると膝がパキパキいうことが日課となりました。
出勤だけで息があがります。辛い。
マイナビニュースさんでコラムを書かせていただきました!
「職場になじめないかも」と不安な新入社員に贈る、先輩としゃべるコツ
これからもっと平成ベビーの会社員向けの記事を書いていきたいと思います!
わーい。
よろしければこちらもお願いいたします!
飲み会でゆとり世代新人から陰口を叩かれないための、エコな叱り方
昨日、出版甲子園でお世話になった方と久しぶりにお会いしました。
彼女は無事に出版業界に入り、編集者になるために研修に励んでいらっしゃいます。よかったよかった。
就活本を書いた結果、内定のご報告や入社のご報告をいただけて、自分が少しでも関わった方が立派になっていくのって本当にうれしいですね。
そんなことを思いながら、全然関係ないですけど、僕は海外ドラマの「ブレイキングバッド」を見ています。これ、プリズンブレイクよりおもしろいです。
ではでは。
安らかに。
2014年4月9日水曜日
会社でうまく笑えない。⑤ ~自分のルールを社会のルールと履き違えている人~
武野です。
「無能の就活。」に書きましたが、現在ドクターペッパーダイエットに文字通り溺れております。
あとマイブームの飲み物は「ミロ」。
なんかミロ、久しぶりに飲むとめっちゃうまいです。
僕、運動が嫌いなので、ミロのパッケージにいるスポーツマン的なこと一切やってないですけどね。
最近なんか将来の夢「布団」です。一体化したい。いっそ意思をもった布団に取り込まれてしまいたい。
どんな企業にも長かれ短かれ、歴史があります。
山あり谷あり、ドラマあり。波乱万丈でなかった企業なんて存在しません。
そして、それらの積み重ねが企業文化や風土といったものを作り上げています。
そのため、一つとして同じ顔を持つ企業はなく、目に見える形でいえば例えば就業規則は企業ごとに異なります。これは企業と労働者をつなぐお約束事です。
そして一方で、明文化はされていないお約束事、いわゆる「不文律」も生じてきます。
問題なのは不文律のほうです。
非常にやっかいであり、平成ベビーを苦しめる原因になります。
不文律には大きく分けて2種類があります。
まず一つ目。組織的な不文律。
部署全体、もっと言えば企業全体が持っている暗黙の了解です。
例えば「新入社員は始業30分前にきて部長のデスクに新聞を用意しておく」。これは実際に僕が大学生だったときに授業でお話を聞いた方がおっしゃっていました。
そんなもんを新入社員にやらせるなんて、そのうちお尻も拭かせるんじゃないかと心配になりますが、これくらいのレベルだったらそこそこ聞く話ですね。
先輩たちもそれを乗り越えてきているので、それに違和感を覚えません。
「当たり前」になっているからです。
そして、もう一つが、個人的な不文律。
これが相当やっかいです。
なぜなら
自分のルールを社会のルールと履き違えている人が一定数いる
んですよね。
僕が昔テレビのリモコンのことを『てれびぷっちん』と呼んでいたのですが、これうちの家族はみんなそう呼んでいまして、小学校にあがったときくらいに同級生に死ぬほどバカにされました。
いまもそれを思い出すとはだしのゲンばりに、ぎぎぎと唇を噛みます。
そんな感じです。
ルールとは少し違いますが、自分のなかの当然を社会の当然と勘違いするのです。
もう上に描いてあるような組織的な不文律とかに浸かりすぎて
自分で考えられなくなっちゃっている
んですよ。
そういう人、だいたいこういいます。
「おれ(私)、そういうふうに育てられてきてるから」
知らんがな。
言われてる側からしたら、たまったもんじゃないですね。
何でお前のマンマのしつけをワシが守らなあかんねん、と誰でも言いたくなるでしょう。
僕が僕の後輩にテレビのリモコンをてれびぷっちんと呼ばせてたらおかしいでしょう。
企業は新入社員はもちろん、常に社員を育てていく命題を持っていますが、この点についていえば教化は大成功していますね。(企業政策として意図したものかは別として……)
「そういうふうに育てられた」という言葉には、自己の存在がありません。
部活みたいなもんですね。
集団として統制された動きをとるために指導者の指示に基づき行動を制限します。そこに個人の意思の必要性は低いです(あくまでイメージの話です)。
そして部活に一人はいるのが特にめちゃくちゃなことを言う先輩であり、この人が個人的な不文律をあたかも社会のルールかのように新人に強要します。
(本人には悪意がないことも多いのが難しいところ)
ただ、組織に入ったんだから集団の通例に習うのは、有る程度、僕は当然だと思います。新人で何にもできないことには自覚を持たなければいけないですし、それに過剰に反応しても自分がしんどいだけです。
組織的な不文律においては、どうしようもないかもしれません。
しかし、個人的な不文律に限っていえば対処法はあります。
たいていこういった個人的不文律っていうのは、言いやすい奴に集まる傾向があります。
そうです。コミュ障ですね。
多少無茶なことを言ったとしても特に反論をしなかったりするものですから、言っている側は調子にのってきます。
言い返してこないと、思い込んでいるわけです。
そこを利用しましょう。
人を選んでものを言う人は、だいたい精神的にかなり弱いです。簡単に言えば気が弱い。
傾向としては多少のことでもちょっとでも自分が攻撃されたような気配を感じると、過剰に反論をしたり、感情を露にする人に多いと思います。
精神的な弱さから、過剰に反撃しなければ気が落ち着かないわけです。
(小型犬理論とでも呼びましょうか)
逆に、誰に対しても一貫した物言いをしている人のことは、無下にすることはできないかもしれません。それは経験などに基づくその人なりの信念などに近いかもしれませんから、もちろん内容にはよりますが、ある程度丁重に扱ったほうがいいでしょう。
話を戻します。つまり、小型犬型の人には
たいていは一回、がつっと言ってやれば黙る
ってことです。
一度でもちゃんと反抗されると、それ以降はその経験がフラッシュバックして、あまり傍若無人なものいいができなくなっていくのが小型犬の常です。
我慢のできないことがあるなら、勇気を出して口に出してみることをおすすめします。
それができないのであれば、順当にいけば耐えるしかありません。
いろいろと小細工はありますが、これが一番ストレートに打破する方法です。
小型犬型の人の言うことは、だんだんとエスカレートしていくでしょう。人間、そんなものです。
「あなたの言いなりになるために入社したわけじゃありませんよ」と、どこかのタイミングでわからせてあげる必要があるのです。
いきなり、「うぉぉおおおおい!ふざけんな、われぇぇぇっ!いてこましたろかぁあああ!」と言いながら、シュレッダーされた紙くずを口にぶち込みつつウォーターサーバーのお湯をぶっかけてやる必要はありません。
「新人がおしゃかになった!」と思われるだけです。
「申し訳ありません。それはどうしてそうしなければならないんでしょうか。私には必要がないように思います」のように、あくまで穏やかで、ささやかでいいんです。
口に出す。
自己を伝えることが重要です。
なかなかハードルは高いかもしれませんが、確実に効果があります。
勇気を出していきましょう。えーざい。
安らかに。
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