風邪ひいたまま出社し続けていたら、勤務中に気絶しかけてさすがに休んだ。
医者に2回いったのに、何も診断されずに与えられた抗生物質を飲み続けていた結果がこれです。
あんまり医者だからといって信用するものではないですね。彼らも人だったのだ。
でも、そりゃ僕みたいな奴が来てもテキトーに診療しますよ。
触診しても楽しくないもん。
思えば、新入社員歓迎会を受けたのが2年近く前になるんですね。
こうやって気付いたら10年くらい経っているんでしょうね。
ちなみに、もしこれから社会人になる大学生がこれを見ていたら言っておきたいのですが、
会社員の時間の流れる早さ、生半ではありません。
誠に。
大学4回生のときが1だとしたら、だいたい2か3くらいで流れていると思っていいでしょう。
たとえば常にデスクに向かっている事務職の方なんかは、相当なものです。
ジャネーの法則というものが提唱されていて(科学的な根拠は無いそうですが)、人は新鮮な経験が少ないとそれに応じて時間的な感覚が鈍るらしいんですよね。
つまりデスクで同じ光景ばかり見て、似たようなことばかりやっていたら、どんどん人生は短く感じるようになっていくらしいです。
これが真実かどうかはどうでもいいんですが、とりあえず大人になるにつれて時間が早く流れているように感じている人がほとんどだと思うので、それを前提にするんですが…
長いですね
飲み会の時間
会社の飲み会なんてものは、コミュ障にとっては苦痛でしかありません。
仲良しこよしのメンバーが集まっているわけではないのですから、当然かもしれません。
なぜ会社の飲み会は楽しくないのか。
これ、大きくわけて2つの理由があると思います。
誰でも思いつくでしょうが、1つは強制力が発生しているからでしょうね。
楽しいとか楽しくないとか以前に、選べないってなかなか精神に負担をかけます。
たとえば店のチョイスなどもそのヒエラルキーの頂点にいる人に決定権がありますし、本当に細かいことを言えばメニューなんかもそうです。
しかし、これはたいした問題ではありません。
「選べない」のだから、考えても仕方がないことです(部分的にうまくやる方法はあるのでしょうが、それはまた別の話)。
2つ目が重要です。
やることがない。
今世紀初頭にして早くもコミュ障あるあるの最たるものを、生み出してしまったかもしれません。
コミュ障にとっての飲み会、はっきり言って暇なんですよね。
周囲は盛り上がっていたりするんですけれど自分は特に喋ることもないもので、ただ機械的におつまみの枝豆を口に運ぶだけのマシーンと化します。
場合によっては、申し訳ない気持ちにすらなってしまいますね。
この飲み会にいてごめんなさい。
貴重な座席を一つ奪ってしまってごめんなさい。
僕に食べられるためになんこつ揚げにさせてごめんなさい(鶏への追悼)。
僕も入社してから、飲み会で暇になる経験を何度したでしょう。
幸いなことに僕はまったく喋らないくせに飲み会に誘っていただけるという、今後10回転生したとしても得がたい幸運に恵まれているのでまだマシなのですが、普通はそんなことしてたら、呼ばれなくなりますね。
ていうか僕なら呼びませんね(恩をあだで返すタイプ)。
まぁ、会社の飲み会に呼ばれるのがいいのか、呼ばれないほうがいいのかは、意見が分かれるのでここでは言及しませんが、
とりあえず参加しなければならないんだったら、暇じゃないほうがいいのは間違いありません。
じゃあ、逆に考えて見ましょう。
なぜコミュ障じゃない人たちは飲み会にちゃんと参加できているのでしょうか。
彼らは居場所を持っています。
さらにこの居場所を言い換えると、役目になります。
つまり
役目を全うすることが居場所を作ることになります。
人間がある程度の長期間、コミュニティを形成したら、それぞれに必ず役が割り振られます。
飲み会で言えば、
ひたすら飲みまくるとか、
ひたすら下ネタを放ち続けるとか、
女子だったら何を言っても笑っておっさんの気分を良くさせるとか。いろいろ。
だから暇にしているぶんにはそれを何にも持っていないわけなので、その時点で
いてもいなくても同じ存在、
なんなら
割り勘の額を変動させるためだけに存在してしまっている
わけなんですよね。
そんな悲しいことはない。
というわけで、コミュ障の人は、飲み会にただ漠然と参加するのではなくて、
自分の役割
を意識してみましょう。
箸を誰よりも早く出すとか、酒の減り具合にだけめちゃ目を凝らしてるとか。
最初はその程度でいいと思います。これが総合的にできる人が新入社員としては、褒められる人でしょう。体育会系のやつに多いですね。
あとは、誰が何を言ってもよく笑う、とか、事前にそのお店のおいしいものをめっちゃ詳細に調べてきてるとか。
ぜったいクーポンを用意してるとか。
もちろん、会話を盛り上げられるのが一番良いんでしょうけれど、それができたらコミュ障じゃないんでね。
ちなみに僕が意識しているのは、
誘われたら用事がない限りは絶対参加するっていうのと、
会話が途切れた空気を感じたら、ところかまわず目の前にあるものに関連するトリビアをぶっこんで、
「でたよ、また武野の変な話の割り込み~」
みたいな空気を作って「でへへ」と笑うことです。
これ以外、やりません。
あとは食べたいものをひたすら食べているだけです。
ちなみに僕はマジもんの下戸で酒がほぼ飲めないので、一滴も飲まないこともよくあります(これも幸いなことに理解のある人が多くて優しくしてもらっています、本当に感謝)。
でも、僕もいっぱしのゆとり世代なので「なんでわざわざそんなことをしてまで、会社の飲み会に参加しなくちゃいけねーの?」っていう考えはわからないではないんですけど、
あんまり意固地になりすぎるのは損な気がします。
自分が本当に無益だと思っているならもちろん参加しない姿勢を続けるのも素敵なことだと思いますが、
もし仮に自分がおもてなしをされるだけの立場だと思っているなら、いっぺん2段ベッドからスカイダイビングしたほうがいいですね。
自分が他人より劣っている面を改善したほうがいいとわかっておきながら放置するのはただの怠慢ですし、自分の可能性を廃棄しているだけですから。
楽しませられるのはもちろんですけど、
飲み会を楽しめるっていうのは会社で生きていく上で大事なスキルだと思いますし、多くの可能性を開くスキルだと思います。
自分の可能性を広げる素材があるかないか、一度考えてみて、それから頑張るかどうか決めてみたらいいと思います。
だいたい行かなくても、そんなに生産的なことしてるわけじゃない人がほとんどですし、寛容に何でも楽しむ姿勢を持ってみてもいいと思います。
僕は酒は飲めませんけど、飲み会は好きです。
安らかに。