2013年11月12日
凡人面接戦略
~「学生時代に頑張ったことは?」に答えられない就活を複数内定で終わらせるために~
が株式会社KADOKAWAさんから発売されます!
写真右 |
半年ぶりの新刊です。
前作「凡人内定戦略」の続編となります。凡人内定戦略の、面接特化版だと思ってください。
おもしろく、そして役立つ情報を入れられたと思います。
前作と合わせて、どうぞよしなに。
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武野です。
書き損ねていたんですが、今年の5月か6月くらいのことです。
お風呂あがりにいつもどおり、2リットルのコーラのペットボトルをラッパ飲みするというアメリカ人みたいなことをしながらパソコンをいじっていたとき、左耳に違和感を覚えました。
そのときは、水でも入ったんだろう、と気にも止めませんでした。
しかし、翌朝、目が覚めてもその違和感は消えません。
とはいえ音も普通に聞き取れるし、ゴミでも入ったのかなあ、なんて楽観的に捉えていました。
3日後、たまたま同期の社員と帰り道を同じにしました。
そのとき僕が何気なく
「そういえば、会社の回線音っていうの?ぷーぷー、っていうやつの音が変わったよね」
と言ったのですが、すると同期が
「え、変わってないよ」
と返してきました。
そんなことはない、と軽く議論を交わしたのですが、彼と僕はフロアが違ったので、僕がいるフロアの回線だけが変更されたんだろう、という結論になりました。
翌日、通常どおり業務をこなします。
新人に毛の生えた程度の人間ですから、やはり電話はたくさん取ります。
余談ですが、僕のデスクの引き出しはお菓子で溢れかえっているのですが、それを食べる間隙を見つけるのも一苦労ですよね。
(うまい棒が攻守最強という結論に最近、いたりました)
そこで、ふと昨日の同期の言っていたことが気になりました。
そういえば、以前から耳の違和感も無くなっていません。
僕は普段は電話を左耳でとるのですが、何も鳴っていない電話をとって、右耳に当ててみました。
「ぷー↑ぷー↑」
明らかに左耳で聞いているときよりも高く、そして鮮明に聞こえてきました。
「ひゃん!!」
僕は驚いて、受話器を叩きつけました。
動揺を隠せなかった僕は、息を荒げながら、開封されていたプリングルスのサワーオニオン味をやたらめったら口に詰め込み、ペプシスペシャルで流し込みました。
その日は定時早々に帰ることにしたのですが、そのときから急に左耳に入ってくる音が気になり始めました。
ずごごごごごごごおおおおおおおおお
というオッサンのイビキのような音がそれなりに大きく聴こえています。
(生まれて初めて耳鳴りが何を指していたのかを知りました)
しばらくすると、電車の「ガタンゴトン」という音も、左耳だけだと聞き取れなくなりました。
聞き取れない、というのは、大きくて低い音が認識できないのです。
まるで質の悪いアンプから聴こえるベース音のように、ただの「ぼわんぼわん」という音になって、何の音なのか分からないのです。
居酒屋のオッサンのうるさい笑い声も、笑い声としては聞き取れなくなりました。
そして病院にいったところ
突発性難聴
という診断を受けました。
そのとき僕は思ったのです。丸椅子に座って、ぐるぐる回りながら。
僕のミュージシャン性にも磨きがかかってきたな、と。
(なんか知らないけどミュージシャンがよくなってますよね、調べてみてください)
翌々日くらいに、あえて知り合いとカラオケに行きました。
冗談はさておき。
お医者さんにうかがってみると、最近は若い人が発症することが多いらしく、基本的には原因は分からないそうです。
ただ、主にはストレスだといわれているとか。
聴覚に関連するホルモン(?)が乱れてしまうらしいです。
幸い、僕は軽症とまでは言わずとも、1ヶ月くらいで治りました。
確かにストレスを感じるような時期もあったのですが、それは発症する1、2ヶ月くらい前のことだったので、病気って不思議です。
病院に行く時間もとれず、なんなら自分の健康が害されていることにも気付けないくらいに追い込まれている人が世の中にどれくらいいるんだろうか、と耳が聞こえていない間に考えていました。
失ってみて初めて分かる「健康第一」でした。
昔、ハイパーブラック企業に勤めていた方に話をうかがったことがありますが、その方のおっしゃっていた「何がいちばん大切なのか考えて欲しい。生きていくのはどうとでもなる」という言葉を思い返しました。
僕はそれなりに楽しくやっていけていますが、何がいま自分にできるのか、やりたいのかを考えます。
「若いうちに無理をしろ」という言葉の意味は十分に理解しているつもりですし、それが若者にとって必要なことも分かります。
無理をすることは自分の可能性や裾野を広げていくことです。
でもその無理が、他人に強制されていいものなのかといえば、躊躇なく肯定することはできません。
どうにも、その違和感が、損なわれている環境が、世の中にある気がしてなりません。
安らかに。
病気になったときはツイッターで心配してくださる方がたくさんいて、とても嬉しかったです。
リアルの何倍の人数がいたでしょうね。
これがリア友が少ないことの弊害でしょうか。
リアルでは知っても無視して扱ってくる人いましたからね。笑えるぜ!